活動報告・トピックス

REPORT & TOPICS

2025.04.22「“One For All, All For One”の体現」昭和63(1988)年卒 元持 弘二

ラグビーとの出会いは、ものすごく単純なものでした。中学3年、高校受験まっただ中にあって、高校ラグビー部を題材とするテレビドラマにハマったのが始まりでした。そんな単純な動機で始めながらも、社会人選手としてプレーを終えるまでの15年近くラグビーを続けてきた、続けてこられた理由は何だったのか。

いままでやったことのない初めてのラグビー。危なそう、痛そう、怖そう、ルールが難しそう等々、いろんな不安があったことは確かです。しかし、周りを見渡せば同期で経験者は二人だけで、同じ様に初めて楕円球に触れる仲間ばかり。そんな「初心者」仲間が大勢集まって高校生から新たに挑戦できるスポーツはラグビーくらいしかありませんでしたし、恐らく今でも公立高校にあっては、そんなスポーツはラグビーくらいしかないのではないでしょうか。

そんな仲間がいたからこそ、不安はいつしか楽しみに変わり、ただただ楽しかっただけのラグビーも、いつしかより高みを目指すようになり、勝つことに喜びを覚え、ともに切磋琢磨し、皆で大きな目標を達成することができたことは、その後の人生においてもかけがえのない財産になりました。

ラグビーはスポーツの中でもフィールドに立てる人数が一番多いスポーツです。身体の大きな人や小さい人、足の速い人やそうじゃない人、力持ちの人やそうじゃない人等々、いろんな個性を最大限に生かして、それぞれの役割や責任を果たしながらOne Teamとなって戦うスポーツでもあります。

One For All , All For Oneという有名な言葉があります。自分よりも大きな相手にもひるむことなく果敢に立ち向かい、身体を張って自分の役割や責任を全うする。自分がタックルされたときにはチームの皆がいちはやく駆けつけてサポートしボールを確保してくれる。また自分が犯したミスにも皆が必死になってそれをカバーしてくれる。どんなスポーツでも 同じような場面があると思いますが、ラグビーというスポーツはOne For All , All For Oneをまさに身体を張って体現できる、させてもらえるというところが最大の魅力だと自分は思いますし、15年近くも続けた、続けてこられた答えだと思っています。

長い人生の中で、皆で身体を張って目標に向かって取り組む・戦うこと、あるいは大事な人やモノ・コトを守るような場面はそうそうないでしょう。ラグビーで得たその経験や体験は必ずや自身の大きな財産となります。勝ち負けに拘らず、そういう経験や体験ができる。それがラグビーです。「ラグビーは、少年をいちはやく大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる」と言われる由縁は、こういうところにもあるんだと思います。

膳所高校に入学を果たされた今、生涯を通じて友と言える仲間を探しに、そして皆で身体を張って目標に向かって戦う喜びを得るために、ぜひ、ラグビー班の門戸を叩いてみてください! かけがえのない財産を得られると信じて止みません。

 

転載:野口(1985卒)

2025.04.20 7人制全国大会予選3位決定戦

7人制全国大会予選の最終戦となる3位決定戦の相手校は比叡山高校でした。

膳所19-14比叡山

光泉カトリック高校に敗退した1時間後のゲームでしたが、気持ちを切り替えて力を出し切り、接戦を制しました。

応援してくださった皆様、誠にありがとうございました。

新入生を仲間に、一戦でも多く熱いゲームができるようにチーム一丸となって頑張って参ります。今後とも応援よろしくお願い申し上げます。

2025.04.21「選手として、指導者として」平成3(1991)年卒 上田 恭平

私は中3で膳所の優勝を見て、膳所へ行こうと決めました。

その頃は人数が多くなかなか公式戦には出られませんでした。高2の冬の新人戦で優勝、高3の春季総体で優勝、花園を目指していましたが、秋は準決勝で負けました。

そのことが喉に刺さった小骨のようにずっとひっかかったままでした。

大学でもラクビーを続けました。教員になり、髙田先生からお声掛けいただき、母校の監督となりました。初めて指導するのが母校ということで、責任を勝手に感じていました。

まず考えたのは、母校のラクビー班を必ず次の指導者にチームをパスしなければならない、ということでした。

赴任した前々年は優勝し、2度目の花園へ出場していました。前年は引き分けで両校優勝、抽選の結果花園へは出られませんでしたが、2年連続優勝していました。

どんな強豪チームなのかと思っていましたが、現実は退部したいという生徒が数名いて、素人の1年生を入れなければ単独で春季総体に出場できないという状況でした。

しかし、その時のラクビー好きな3年生と〇〇ほどかわいい2年生とよちよち歩きの1年生を目の前にして、自分が指導者として彼らと一緒にスタートを切る決意を固めました。

特にこの3年生は、春季総体は合同チームで初戦敗退だったのに、秋の花園予選までがんばってくれました。彼ら3年生が秋までやってくれたお陰で、その3年後に花園に出られたと思っています。

何度となく言っていますが、本当にそう思います。強くて調子が良い時なら誰でもやれますが、弱くてしんどいチーム状況なのに踏ん張ってくれた彼らには感謝しかありません。

3年後に花園に出た時は、優秀な選手がそろっていました。勝ててうれしいのもありましたが、自分の高3の時の引っ掛かりがやっと取れたというのが正直なところでした。

その後にも優秀な選手がたくさんいて、それなりの戦績を残すことができました。

しかし、指導者が自分でなかったら、もっと知識や経験があったら、もっと勝てたかもしれないと思うようになりました。

選手を伸ばすのも指導者ならば、選手の足を引っ張るのも指導者です。このことは今も変わらず考えるところです。選手に対して指導者は学び続ける責任があると考えています。

この度、マスターズで高月組や貝増組のメンバーと一緒に花園に立てたことはとても幸せな出来事でした。

選手としては花園に立てなかったけれど、数十年を経て、当時の仲間や教え子達と花園に立てるとは想像もしていなかっただけにとてもうれしい出来事でした。

しんどい時に踏ん張れるのが膳所高校ラクビー班の特性だと思います。長い人生においてほんの数年ですが、ここでの時間が濃密な経験をさせてくれるからこそ身に付く特性だと思います。

ぜひたくさんの人に経験してほしいです。

新入生の皆さん、膳所高校ラグビー班に入ろう!

 

転載:野口(1985卒)

loading